
1996年弁護士登録。現在、アンダーソン・毛利・友常法律事務所外国法共同事業パートナー弁護士。経営法曹会議常任幹事。人事・労務問題全般の助言のほか、セクハラ、パワハラなどハラスメント問題に関する社員研修、管理職研修なども数多く行う。
■ハラスメント対応の術を身につける 第7回
今回取り上げるのは警視セクハラ損害賠償事件(東京高判令和5年9月7日)である。女性警察官Xが、職場の同僚である男性警察官Yから、執務室や歓送迎会などの場で卑猥な言動や性差別的な言動を繰り返されるセクハラを受けたことにより、人格権を侵害され精神的損害を被ったと主張し、Y個人に損害賠償などを求めて提訴した。
■「女性はかわいいとかあるやん」は違法
一審(東京地判令和3年10月19日)は、Yの発言の一部は「職務を行うについて」(国家賠償法1条1項)行ったものであるとして、公務員であるY個人への責任を否定し、その他の発言も違法とはいえないとしてXの請求を全て棄却したが、控訴審では、Yの発言の一部について、「職務を行うについて」なされたものとはいえず、かつYの性差別的な価値観をXに押し付けるものであるなどとして、Y個人の不法行為責任を認めた。

国家賠償法1条1項は「公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と定めている。公務員であるYのXに対する言動が違法であったとしても、その言動をYが「職務を行うについて」行ったのであれば、Y個人の損害賠償責任は否定される。本事例で、損害賠償責任が認められなかったYの言動について、裁判所は言動が違法ではないから損害賠償責任を認めなかったわけではないことには注意すべきである。
注目すべき点は、①Yが執務室でXに、執務態度について「ちょっと可愛くせないかんよ」「優しくせないかんよ」「あんまりキャンキャン言わん方がいい」「女性なんだから」と述べたこと、②研修後の懇親会で、Yがワインなどを運んできたXに対し「Xちゃん可愛いところあるやんか」「普段からそうしてや」と述べたこと、③送別会で、「男と女はどう違うんですか」などと尋ねてきたXに対して、Yが「女性は違うやろ。優しさちゅうのもあるやろ」「女性はかわいいとか、やさしいとかあるやん。それぞれの特長を生かして仕事もせな」「(Xも)かわいいとことかあるやん」と述べたこと、のいずれもがYの性差別的な価値観をXに押しつける内容の発言であり、社会通念上許容される限度を超えていると裁判所が判断したことにある(なお、①は「職務を行うについて」なされたものとしてYの損害賠償責任は否定されたが、②③はXの人格権を違法に侵害するとして不法行為の成立が認められた)。
■親しげな言葉でも… 無意識の押し付けに
セクハラは、「職場」で行われる「労働者」の意に反する「性的な言動」により、労働者が労働条件について不利益を受けたり、就業環境が害されることと定義されている(男女雇用機会均等法11条)。
しかし裁判所は、セクシュアルな言動だけでなくジェンダーに関する言動も含めて、被害者の人格権を違法に侵害しているかの観点からセクハラの成否を判断しており、性差別的な一定の価値観を押し付ける内容の発言もセクハラに該当すると判示してきている。
例えば、最一小判平成27年2月26日は、「30歳は、二十二、三歳の子から見たら、おばさんやで」「もうお局さんやで。怖がられてるんちゃうん」などの発言をセクハラと認定したが、この「おばさん」「お局さん」は若くない女性を揶揄するもので、性差別的な価値観の押し付けであることに異論はないだろう。
本事例でのYの発言も、「女性は可愛くあるべき、優しくあるべき」との性差別的な一定の価値観の押し付けとして、不快感を抱いたXの人格権を違法に侵害したと認定された。
「可愛い」「優しい」という言葉が常に直ちにセクハラになるわけではなく、それが性差別的な価値観の押し付けの意味合いを有して発言されているかが、セクハラ成否の判断の分かれ目になる。
最近も、令和7年10月23日に東京地裁が、女性を「〇〇ちゃん」と名前で呼ぶなどの男性社員の一連の発言をセクハラと認定して大きく報道された。特に職場での女性の下の名前の「ちゃん付け」は、「女性は可愛くあるべき、優しくあるべき」といった性差別的な価値観を無意識に押し付けているともいいうる。
労災認定の際に用いられる厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準について」でも、「〇〇ちゃん」などのセクハラ発言につき、心理的負荷を「弱」とするとされている。
職場の人間関係を円滑にすべく、距離感を縮めようとして親しげな言葉を使っても、それが相手を不快にさせてしまっては本末転倒である。そして、時代によって言葉の受け止め方も変化することを忘れてはならない。
本事例の①から③の各発言は、昭和の時代には何の疑問も持たずに許容されていたはずで、女性が不快感をもったとしても女性の方が非難されていたであろう。しかし、令和の時代では昭和の常識はもはや通用しないことを、本事例は教えてくれていると言える。


