角度45度に切り出したガラス板を気泡を入れず接合する――美術館や宝飾品のショーケースなどガラスの精密加工を手掛ける西尾硝子鏡工業所(東京都大田区、従業員数20人)はこのほど、第15回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の審査委員会特別賞を受賞した。西尾智之社長は「経営者と社員が言いたいことを言える風土が、顧客に選ばれる企業につながっている。中小企業が生き残るためには組織開発の視点が必要」と強調する。採用定着面では3年以内離職率が6年連続ゼロなど、若手社員も活躍する背景には、かつて会社の危機を組織ぐるみで乗り越えた「膝詰めの対話」があるという。
■頑張ればなんとか…

「私は多分、飛び込み営業の最後の世代だと思います」
インターネットが普及する前の90年代前半、社長だった父の死を経験し、26歳で勤めていた大手商社を辞めて専務として西尾硝子鏡工業所に入社した西尾さん。ベテラン職人の間でガラスの知識や経験の習得に苦労しながらも、業者年鑑をつてにがむしゃらに取引先を開拓したという。
バブル経済崩壊後の金融危機で、貸しはがしによる取引先の倒産や、毎年のように貸し倒れが出る苦しい時代だったが、2000年に社長を継いだ後は都心再開発の建設ブームで業績は拡大していった。
多忙な日々のなか売り上げは伸びていったが、同時に経費の割合も膨張していたところに、リーマンショックが起きた。
「それまでの『自分1人が頑張ればなんとかなる』と捉えていた状況とは次元が違いました。頑張るのは当たり前ですが、それでも回らない状況を切り抜けるために、結局は組織で対応しなければならない問題だということに、当時は十分に気づけていなかった」
急激な業績の落ち込みの挽回を目指すが、翌年も翌々年も大幅な赤字が続く業績を前に、社員にも不安が広がっていく。好業績のときには表面化していなかった組織に対する不満や負の部分が、社内会議のなかでも堰をきったように表出。分断が進みつつあるなかで、会社の命運をかけて組織開発に取り組む転機となるある考え方に出会った、と西尾さんは振り返る。
「それまでは自分が立てた経営計画や事業戦略をどう社員に理解し実行してもらうか、つまり『やり方』にばかり頭を悩ませていました。しかしその前に、組織や経営、自分自身の『あり方』を問い直さなければならない、そう社外のコンサルタントに指摘を受けたのです。当初はカウンターパンチを食らったようなショックを受け混乱しましたが、組織や社員に向き合うということの意味を次第に理解するなかで、チームとして危機を乗り越える出発点になりました」

■違い認め、仕事任せる
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