■新・働く人の心と体の心理学 第61回 著者:深沢孝之
前回、社会のあらゆる領域に浸透している「ホワイト革命」というものの見方を紹介しました。オタク文化評論家の岡田斗司夫氏が名づけたこの運動は、政治的な正しさ、高い倫理性、外見上の美しさなどを強く求めて、実現を目指すことを指します。
SDGs、ポリティカル・コレクトネス、LGBT、そして感染対策、これらはみな私たちの意識がホワイト革命的な方向性を目指しているからこそ現れている現象かもしれません。まさに「清く、正しく、美しく」、これは私が住む山梨出身の実業家、宝塚創始者の小林一三の言葉だそうですが、非日常性を目指す舞台芸術ならともかく、今は日常生活の隅々にまでそれを求められています(その宝塚が今パワハラで揉めているのも何やら象徴的ですが、ここでは触れません)。
これらに反対するのが難しいのは、確かに言っていることは正しいからです。正確に言うと、「正しいように聞こえる」からです。私も社会的弱者を支援するのが仕事ですから、基本的にその方針に反対しません。ただ、個別具体的な方策となると、首をかしげざるを得ないことがたくさん出てきます。
それが「キレイであること」を過剰に求める社会です。前号でも手洗いなどの感染対策が、ある人たちにとって強迫症状の悪化を招くことを指摘しました。汚れていると思うときれいにせずにはいられなくなり、過剰に、執拗に手を洗ったり、物を拭いたりしてコントロールできなくなることです。
あなたの身の回りにも、そういう人がいないでしょうか。いや、あなた自身にもそういうところが強くなっていないでしょうか。
■過度の手洗いは体を弱くする
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