■連載:人事担当者がわかる最近の労働行政
去る2022年3月に成立し、同年10月に施行された改正職業安定法は、2017年改正で導入された募集情報等提供事業という概念に対して、初めて本格的な規制を導入しました。これは、これまで職業紹介という行為に規制の焦点を当ててきた労働市場規制が、情報提供というより広い領域に拡大してきたものと捉えることができます。しかしながら、労働市場における情報流通自体を規制対象にするという発想は、実は今から40年前から30年前にかけての時期に、当時の労働省においてかなり真剣に検討されたテーマでもありました。結果的に何ら立法にはつながらなかったためにその経緯はほぼ忘れられていますが、募集情報等提供事業に対する規制が成立した今日の視点から、このかつての政策過程を振り返ってみることは意味のあることではないかと思われます。
ただ、その当時と今とでは労働市場規制の枠組みが全く異なっていたということを最初に念頭に置いておく必要があります。日本の労働市場法制は、1938年の改正職業紹介法から1999年の職業安定法改正に至るまでの約60年間にわたって、職業紹介については国の独占を原則とし、有料職業紹介事業は原則として禁止されていました。若干の専門職については許されていたとはいいながら、普通の労働者を対象に大々的に職業紹介事業を行うということは不可能であったのです。そういう中にあって、いわば規制の対象外であった求人情報誌というビジネスモデルで急拡大していったのが、リクルートをはじめとする就職情報産業であったのです。
求人情報誌に対する規制を求めていたのは労働組合側でした。当時のナショナルセンターの総評は、1984年3月に坂本三十次労働大臣に対し、「誇大広告などによる就職後の被害も増大傾向にある」と指摘し、その規制を求めました。労働省では部内で規制を検討していたようですが、その内容は明らかになっていません。ただ、労働省の規制の動きに反発した就職情報誌側が職業安定法研究会を設け、1984年7月に報告書を公表しており、その中に労働省事務局の規制案とおぼしきものが書かれています。すなわち、募集広告への倫理規定の新設、雇用情報誌への許可又は届出制、雇用情報誌への立入権、業務停止権、罰則の追加等です。同報告書は憲法を持ち出してこれらに猛反発しています。当時、リクルート社が政治家や官僚に未公開株をばらまくリクルート事件が世間を騒がせましたが、その背景にはこの情報誌規制の動きがあったともいわれています。いずれにしても、この時は1985年の労働者派遣法の制定に併せて行われた職業安定法改正により、第42条第2項として、文書募集「を行おうとする者は、労働者の適切な職業選択に資するため、前項において準用する第十八条の規定により当該募集に係る従事すべき業務の内容等を明示するに当たつては、当該募集に応じようとする労働者に誤解を生じさせることのないように平易な表現を用いる等その的確な表示に努めなければならない」として挿入されるにとどまりました。
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