昨2023年11月2日に閣議決定された「デフレ完全脱却のための総合経済対策~日本経済の新たなステージにむけて~」は、「構造的賃上げに向けた三位一体の労働市場改革の推進」を掲げ、「賃上げを一過性のものとせず、構造的賃上げとして確固たるものとするため、①リ・スキリングによる能力向上支援、②個々の企業の実態に応じた職務給の導入、③成長分野への労働移動の円滑化の三位一体の労働市場改革について、…変革期間において、早期かつ着実に実施する」と述べています。しかしながら、なぜこれらによって賃金が上がるのかという肝心の点については、必ずしも説得力のある論拠が示されているわけではないようです。むしろ、③の労働移動などは賃金が下がる下方移動の方が多いではないかという批判がなされています。ただ、こうした政策を打ち出す人々がどういう発想でこれらが構造的賃上げにつながると考えているのかについては、雇用システム論という補助線を引いてみることで、大変わかりやすくなるように思います。今回は、現在の岸田内閣官邸がどういう論理回路でこうした政策を打ち出しているのかを岡目八目よろしく解説してみましょう。
1 雇用システム論の基礎
私の著書を読まれた方にはいささか退屈でしょうが、まずは雇用システム論の基礎の基礎をごく簡単におさらいしておきましょう。日本型雇用システムの本質は職務と人間のつなげ方にあります。欧米やアジアなど日本以外の社会では、労働者が遂行すべき職務(ジョブ)が雇用契約に明確に規定されますが、日本では雇用契約に職務は明記されず、どんな仕事をするかは使用者の命令によって定まります。つまり日本の雇用契約はその都度遂行すべき職務が書き込まれるべき「空白の石版」であり、この点をとらえて、私は日本における雇用は欧米やアジアのように職務(ジョブ)ではなく、成員(メンバーシップ)であると規定しました。ここ数年来世間で流行っている「ジョブ型」という用語の源流はこれです。日本以外の社会ではジョブ型しかないので、すべての雇用が該当する当たり前のことをわざわざ呼ぶための「ジョブ型」という言葉もありません。
ジョブ型社会では、雇用契約で定める職務によって賃金が決まります。これを日本では「職務給」と呼びますが、これもジョブに値札がついているのが当然の前提である日本以外の社会ではまったく通用しない言葉です。というより、ジョブという商品に値札がついていなくて、商品の如何を問わず売り手が誰であるかによって価格が決まるなどという奇妙な事態は想像すらできないでしょう。しかし、もちろん日本ではそういうジョブ型社会から見れば奇妙な事態が当たり前です。雇用契約で職務が特定されていないのですから、職務に基づいて賃金を決めることは困難ですし、無理にそうしても、高賃金職種から低賃金職種への配置転換をしようとすると労働者が猛烈に反発してうまくいきません。メンバーシップ型社会特有の人事権を円滑に行使するためには、賃金を職務に紐付けることはできず、勤続年数や年齢、あるいは毎年の人事査定の積み重ねである「能力」に紐付けるしかないのです。ちなみに、日本的職能資格制でいうところの「能力」とは、特定のジョブを遂行するスキルとはほとんど関係のない不可思議な概念です。高スキルの若者は「能力」が低いから低賃金なのであり、「働かないおじさん」たちは「能力」が高いので高賃金なのです。「能力」とスキルをごっちゃにすると、雇用に関わるすべての議論がめちゃくちゃになります。
2 リスキリングのジョブ型とメンバーシップ型
もともとジョブ型社会にリスキリングなどというものはありませんでした。人生の初期に必要な職業教育訓練を受け、その獲得したスキルで就職したら、その後はずっとそのジョブをやり続けて引退に至る。今日でも欧米社会の基本構造はそういうモデルです。本来のジョブ型とは就職時に雇用契約で定めたジョブをずっとやり続けるものであり、ジョブを変えるのは例外なのです。ところが技術革新が展開する中で、それではまずいと登場したのがリスキリングです。ジョブとスキルに基づく基本構造を大前提にしつつ、職業人生の中で新たなジョブのための新たなスキルを身につけるために、いったん今のジョブから離れ、新たなスキルのための教育を受ける時期を保障することがその眼目です。
これに対し、メンバーシップ型の日本では、入社前にその会社でやる仕事のスキルを身につけておくことは求められません。リスキリング以前に、スキリングがないのです。正確に言えば、入社後に上司や先輩がOJTでスキリングしてくれます。社内配転で新たな部署に移っても、またOJTでリスキリングを繰り返します。ME革命の1980年代には、「だから日本は強いんだ」という議論があふれていました。硬直的なジョブに悩む欧米を尻目に、柔軟な日本型モデルが礼賛された時代です。そんな時代に、硬直的なジョブを前提にしたリスキリングなど誰も目を向けようとしませんでした。
ところが1990年代以降、多くの若者が「入社」できずに低スキルジョブの非正規雇用に落ち込む一方で、少数精鋭の正社員になれた者もまともなOJTを受けることなく膨大な作業に追いまくられ、まともなスキルを獲得することなく中高年になった高給社員(「働かないおじさん」)は会社から邪魔者扱いされる有様です。
1990年代後半以降の職業教育訓練政策は、それまでの企業内教育一辺倒から企業外のフォーマル教育に重点を移そうと努めてきましたが、根強いメンバーシップ感覚によって足を引っ張られ、なかなかうまくいきません。1998年の教育訓練給付は費用の8割助成という大盤振る舞いでしたが、その大半は駅前の英会話教室やパソコン教室に投じられ、世論の批判の中で2000年代には助成率が2割に引き下げられました。日本社会がジョブとスキルに基づく社会になっていなかったがゆえに、趣味的な教室に流れたと言えましょう。2013年には「学び直し支援」が政策のスローガンとなり、特定の教育訓練給付の助成率が再度引き上げられましたが、その対象は文部科学省所管の専修学校、専門職大学院、専門職大学及び大学における職業実践力育成プログラムや、経済産業省所管の情報通信技術課程ばかりです。しかしスキルアップで転ジョブする社会ではないため、その効果はなお不明です。
2023年に経済産業省は「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業」を開始しました。リスキリング講座を受講して転職すれば、最大56万円補助するという大盤振る舞いですが、そもそも「転職」の概念に問題が孕まれています。
ジョブ型社会では、社内であれ社外であれ、新たなジョブに就くためにはそのジョブを遂行できるスキルが必要です。そこで、そのための教育訓練を国が援助して職業資格を取得し、その結果、社内や社外の公募に応募して採用されめでたく転ジョブして給与アップという美しいストーリーが描けます。重要なのは、「新たなスキル→新たなジョブ→高い給与」という回路であって、そのジョブが社内か社外かは本質ではありません。
ところが日本では、社内配転でそのつどスキルがなくても転ジョブし、配属されてからOJTでスキルを身につけ、一方でそれとは無関係に定期昇給で給与が上がるという仕組みです。スキルがあっても転ジョブするわけではありませんし、スキルがなくても転ジョブしていきます。そして、どっちにしても「能力」と「情意」で昇給するのですから、ジョブもスキルも関係ないのです。
そこで「これはおかしい。せっかくお金を出してスキルを身につけたのに転職しないなんてもったいないじゃないか。そうだ、転職するいい子だけにお金を上げる仕組みを作ろう」と経産官僚が思いついたというわけでしょう。それ自体はもっともなのですが、メンバーシップ型社会にどっぷり浸かった日本人ゆえ、ジョブ型社会のような社内転ジョブという発想がそもそもないので、転職(=転社)のみで制度設計せざるを得ないのです。しかしながら、これでは退職予定の在職者のみへの給付となり、辞めるつもりの社員を抱えている在職中の会社との関係が奇妙なものにならざるを得ません。もしこれを喜んで受け入れる会社があるとしたら、それはその社員にとっとと出ていってほしい会社でしょう。ということは、この制度はアウトプレースメントの道具となる以外にあまり使い道はなさそうです。
3 ジョブ型、メンバーシップ型と賃上げのパラドックス
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