■連載:人事担当者がわかる最近の労働行政
去る3月25日、厚生労働省は労働政策審議会労働条件分科会に「組織再編に伴う労働関係の調整に関する部会」(公5名、労使各4名、部会長:山川隆一)を設置し、検討を開始しました。
設置の趣旨によると、2024年6月7日に成立し、同月14日に公布された「事業性融資の推進等に関する法律」に対して、国会の附帯決議で「「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」については、政府において、専門的な検討の場を設け、新たな企業価値担保権の創設を踏まえて必要な見直し等を行うこと。加えて、合併・事業譲渡をはじめ企業組織の再編に伴う労働者保護に関する諸問題については、その実態把握を行うとともに、速やかに検討を進め、結論を得た後、必要に応じて立法上の措置を講ずること」とされたことが理由です。
この法律はどういう内容で、なぜ事業譲渡指針の見直しが必要なのか、ごく簡単に見ておきましょう。
同法で創設された企業価値担保権とはいかなるものか?まず、(法学部出身の方は)むかし民法の授業で習った担保法制を思い出して下さい。担保には物的担保と人的担保がありました。前者は不動産の抵当権とか動産の質権といったもので、借りた金の担保にモノを使います。債務者が金が返せなければその不動産や動産を売却して、その代金を返済に充てます。後者は保証人とか連帯保証人といったもので、借りた金の担保にヒトを使います。債務者が金を返せなければ連帯保証人が代わって返済します。今の日本では、経営者自身が会社の連帯保証人となって、会社が返せなければ私個人が払いますという歪んだ仕組みが一般的です。
こういった担保制度では、今日の融資実務の課題に対処できないのではないか、というのが、今回の立法の出発点です。それは、まず2022年6月7日閣議決定の「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」に次のように書かれています。
DXやGX等に伴う産業構造の変化が生じている中、工場等の有形資産を持たないスタートアップ等にとっては、不動産担保や個人保証なしに融資を受けることは難しく、また、出資による資金調達だけでは経営者の持分が希薄化するため、成長資金を経営者の意向に応じて最適な方法で調達できるよう環境整備することが必要である。こうした観点から、金融機関には、不動産担保等によらず、事業価値やその将来性といった事業そのものを評価し、融資することが求められる。スタートアップ等が事業全体を担保に金融機関から成長資金を調達できる制度を創設するため、関連法案を早期に国会に提出することを目指す。
現実の日本社会では、担保権の対象は土地や工場といった有形資産が中心で、ノウハウ、顧客基盤といった無形資産が含まれず、事業価値と乖離している上に、事業価値への貢献を問わずに担保権者が最優先されています。また、不動産のような有形資産を持たない者への融資が困難であり、スタートアップなど有形資産に乏しい企業の資金調達に支障があることや、不動産担保や個人保証による価値に目が向きがちで、融資先の経営改善支援につながらず、貸出先の事業改善・再生の着手が遅れる恐れがあります。そこで、個々のモノやヒトを担保にするのではなく、事業全体を丸ごと担保にしようという発想が登場してきたのです。
これを受けて2022年11月2日、金融庁の金融審議会に「事業性に着目した融資実務を支える制度のあり方等に関するワーキング・グループ」(学識者16名、座長:神田秀樹)が設置され、翌2023年2月10日に報告書を取りまとめました。
その内容は、新たな担保制度として「事業成長担保権」というものを創設しようというものです。この段階では名称が若干異なりますが、内容は同じです。上述の問題意識に基づき、個々のモノやヒトを担保にするのではなく、事業全体を丸ごと担保にしようというのが、この事業成長担保という発想です。
担保権の対象は無形資産を含む事業全体なので、ノウハウ、顧客基盤などの無形資産も含まれ事業価値と一致しますし、事業価値の維持・向上に資する者を最優先するので、商取引先や労働者、再生局面の貸し手等を十分に保護できるというわけです。また、無形資産を含む事業の将来性に着目した融資を促進するので、創業や第二創業を容易にすると期待されますし、融資先の経営改善支援を促進するので、経営者保証等に依存せず、事業のモニタリングに基づく経営悪化時の早期支援を実現できるというわけです。
そんないいものならすぐにでも実現したらいいではないかと思うかも知れませんが、ここに大きな問題が浮かび上がってきます。それは、丸ごと担保にされるその事業全体の中には、その事業に従事して働く労働者たち(法律的には彼らとの労働契約)も含まれるからです。
そもそも論としては、これは日本労働弁護団が2022年12月26日に発した声明「「事業成長担保」の拙速な制度化に反対する声明」の中で述べているように、「労働契約は、他の契約関係とは異なり、働く人間と切り離すことのできない労働力を取引の対象とするものである。その労働契約も含めて担保を設定することができるような制度は、働く人間を担保にとることを可能とするものであり、そのようなことが許されるのかという根本的な疑問があ」りますし、少なくとも「事業成長担保制度を設計するのであれば、その設定時において、担保の対象となる生身の人間である労働者の個別同意を必要とすべきである(同意にあたっては、後述するような実行時の問題等も含めた十分な説明を行い、さらに同意しない労働者を不利益に取り扱うことを禁止する制度設計が必要である)。この個別同意は、設定後に労働契約を締結する労働者にも必要とすべきである。そして、個別同意が得られない労働者については、その労働契約は担保目的財産の対象外とすべきである」という理屈がでてきます。
とはいえ、せっかく金を貸してやろうという時に、そこで働く労働者全員の同意を取り付けてこい、その後新たに採用した労働者の同意も必要だ、さもなければその労働者の分は担保にならないぞ、というのでは、そんな担保では危なっかしくってそもそも融資しようということにならないでしょう。
そこで、このワーキンググループでは、この事業成長担保制度をいかに円滑に回すかということと、その事業で働く労働者の保護をどう確保するかという連立方程式を解くべく、連合の村上陽子副事務局長と労働法学者の水町勇一郎東大教授も委員に加わり、報告書の第4節には「労働者保護に係る論点について」6ページ以上にわたってこまごまと論じられているのです。
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