放送法「政治的公平」の解釈変更とは? 官邸、放送の自由に介入 「総務省文書」であかるみに

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憲政史上最長となった第2次安倍政権(2012年12月~20年9月)の下で行われた、「政治的公平」を定める放送法の解釈変更に首相官邸の強い働きかけがあったことを示す総務省の内部文書の存在が今年3月に明らかになった。同省出身の小西洋之参院議員(立憲民主)が関係者から入手したとして記者発表し、同省も正式な行政文書と追認した。文書では何が浮かび上がったのか。(臺宏士・ライター)

■「取扱厳重注意」

松本剛明総務大臣は2023年3月7日、小西洋之・参院議員(立憲民主)が総務省関係者から入手したという内部文書を行政文書だと認め、同じ文書を公表した。

「取扱厳重注意」などと随所に記されたA4判で78枚に及ぶ内部文書は14年11月28日の記録から始まる。当時、首相補佐官だった旧自治省(総務省)出身の礒崎陽輔・前参院議員が、「政治的公平」について安藤友裕・情報流通行政局長(現・NTTコミュニケーションズ常務執行役員)に説明を求めた際のやりとりだ。

この時期、永田町の人たちは衆議院が21日に解散され、翌12月に控えた総選挙に向けて一斉に動き出していた。安倍晋三首相が任命した黒田東彦日本銀行総裁が手掛けた異次元の金融緩和策を柱としたアベノミクスの是非が争点だった。

文書には「礒崎補佐官は11月23日(日)のTBSのサンデーモーニングに問題意識があり、同番組放送後からツイッターで関連の発言を多数投稿」と記されている。この日の番組には、毎日新聞特別編集委員(「NEWS23」のニュースアンカー)、写真家の浅井慎平氏、評論家の寺島実郎氏、作曲家の三枝成彰氏らが出演し、衆院選などについてコメントしていた。

礒崎氏のツイートは、次のような内容だった。

《仲良しグループだけが集まって政治的に好き放題言うような番組が、放送法上許されるはずがありません。今の立場では余り動けませんが、黙って見過ごすわけにはいきません》(11月24日)。

この2日後の26日、礒崎氏は総務省に説明を求める連絡をして28日に安藤氏らが官邸を訪ねることにつながる。

衆院選を前に自民党は安倍政権の政策に批判的な番組に目を光らせるとともに放送局に文書を押し付けるなど圧力をかけていた。具体的には安倍首相はTBSの報道番組「NEWS23」(11月18日)に生出演した際に流れた「街の声」でアベノミクスの効果に否定的な声が多かったことに反発。「これ、おかしいじゃないですか」と編集を批判し、延々と反論。これを受け同党は11月20日に萩生田光一筆頭副幹事長、福井照報道局長の連名で「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題した文書を在京民放キー局の編成局長、報道局長宛てに出した。

テレビ朝日へは、「報道ステーション」(24日)が「衆院選企画」として放送したアベノミクスを検証する特集にかみついた。豪華客船での船上パーティーが繁盛するなど富裕層には恩恵が及んでいるが、低所得者層には届いていないという内容。福井照報道局長名で「公正中立な番組作成に取り組んでいただきますよう、特段の配慮」を求める文書を、「担当プロデューサー」宛てに出している。

礒崎氏のケースは、与党ではなく、政権中枢が放送局に法解釈を変更することによって圧力をかけようと動き出した点に特異性がある。同氏が目を付けたのが放送法4条だった。

■政治的公平

4条は放送事業者が番組を編集するにあたって配慮すべき準則として次の4つを示している。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

どれももっともな内容で有限な資源の電波を利用し、社会的な影響力の大きい放送波を使うテレビ局がこれらの4項目に配慮することへの異論は少ない。問題となるのはこれを誰が判断し、行政指導や停波といった行政処分の根拠にできるのかということだ。

戦前の日本の電波は政府が直接管掌し、NHKの前身となる社団法人・日本放送協会のニュースは検閲を受け、政府の広報機関として戦争に協力した。その反省から戦後、連合国軍の占領下だった1950年に成立した放送法では政府から独立した電波監理委員会が同法を所管していた。ところが日本が独立したすぐ後の52年7月に委員会は廃止され旧郵政省が所管することなる。ただ当時の郵政省は「放送の番組の自由というようなことがございますので、簡単に触れられない、いわゆるタブーだと私どもは考えておるわけでございます」(広瀬正雄・郵政大臣、72年3月15日の衆議院逓信委員会)、「政府、郵政省がこれ(4条違反)を判断する権限を与えられていない」(鴨光一郎放送部長、77年4月27日の衆院逓信委員会)という立場で権力行使には謙抑的であった。

こうした姿勢を変えるきっかけとなったのは、93年夏の衆院選で自民党は過半数割れの敗北を喫し、非自民党の細川護熙政権が誕生。この時の選挙報道についてテレビ朝日の椿貞良・報道局長(当時)が「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないかというような形で私どもの報道はまとめていた」などと民放連内の会合で発言した。同年10月に産経新聞が大きく報じて政治問題化した。実際には自民党に不利になるような報道はなく、椿氏の発言には事実の裏付けはなかったことが判明するのだが、旧郵政省の江川晃正・放送行政局長は「政治的公正は最終的には郵政省が判断する」(93年10月27日の衆院逓信委員会)などと答弁しその後、行政は番組介入を強めた。

■一つの番組でも違反

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