山守る木樵 映像で記録

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「自分ができなかったことを、ずーっと引きずって映画にした」と話す宮﨑政記さん(2023年1月22日、岐阜県下呂市で)

■宮﨑政記さん(ドキュメンタリー映画監督) おんな流 おとこ流~仕事を訪ねて~(53)

岐阜県飛騨地方、乗鞍岳(標高3026メートル)に近い広大な山林にチェーンソーの音がこだまする。昨秋、劇場公開されたドキュメンタリー映画「木樵(きこり)」の一場面。監督したのは飛騨地方で生まれ育った宮﨑政記(まさき)さん(71)だ。(井澤宏明)

作品は、木樵の生業で半世紀余り、生計を立ててきた高山市の兄弟とその家族、弟子たちの日常を四季にわたってゆったりと描き出す。

「自分ができなかったことをずーっと引きずって、映画にしてようやく完結したという、男の生き方として女々しい映画なんです」

今年1月22日、故郷の同県下呂市の下呂交流会館アクティブで開かれた上映会後のトークショーで、宮﨑さんは会場を埋めた約300人の観客に語りかけた。

小坂町(現・下呂市)に生まれた宮﨑さんは、木樵だった父親の背中を見て育った。中学生になって暮らした高山市では、県立斐太(ひだ)実業高校(現・飛騨高山高校)に進学、林業を学んだ。そのまま親の跡を継ぐものと思っていたが、現在のリクルート社発行の就職情報誌に載っていた同社映画製作部の募集広告を目にしたことから、進路が一転する。

地方都市にも映画館が複数あった、映画が今よりも身近だった時代。幼少期から父に連れられ美空ひばり主演作や黒澤明監督作品、加山雄三の「若大将シリーズ」などに親しんだ。中学・高校時代はミュージカル映画にも心躍らせた。

採用されたリクルート社では、企業のPR映像を制作し、各高校を上映して回った。自動車や化粧品など大手企業の工員募集のための映像が多かったが、片田舎から就職した自身と高校生たちがダブって見えた。

「(企業の)いいところばっかり見せて、だまして連れて行くようで嫌になった」。20歳を過ぎて会社を飛び出し、映画の専門学校で学び直した。

卒業後はフリーの映像作家としてテレビ番組やドキュメンタリー番組を制作。民放の紀行番組「遠くへ行きたい」、NHK「課外授業 ようこそ先輩」などを手掛けた。 ドキュメンタリー映画もコツコツ制作した。ヒツジの飼育を学習に採り入れている児童数11人の小学校を描いた「2年あい組」(1987年)が初めての作品。障害があったり、成長が遅れたりしている子どもたちが一緒に通う保育園に密着した「こどもたちの時間」(95年)、老人ホームと保育園が一緒になった民間福祉施設の暮らしを追った「よいお年を」(96年)でキネマ旬報文化映画ベスト・テン入りするなど、人間味あふれる作品で評価を高めた。

■50歳超えUターン

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