沈んだムラ 改めて問う

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■平方浩介さん(児童文学作家) おんな流 おとこ流~仕事を訪ねて~(52)

「自分の懺悔も含めて、死んでから出す本だったんです」。黒縁メガネの奥で丸い眼が光る(2022年11月13日、岐阜県垂井町の古民家みずのわで)

「東洋一」とうたわれた巨大ダム建設のためにダムの湖底に沈んだ故郷・岐阜県徳山村を今も想い続ける児童文学作家・平方浩介さん(86)(岐阜市在住)が昨年10月、新刊を著した。題して「日本一のムダ 徳山ダムの話」(燦葉出版社)。(井澤宏明)

「日本一のムダ 徳山ダムの話」平方浩介 著、燦葉出版社、2022年10月、1500円(税込)

本書に綴ったのは、ダム建設の話が村に舞い込んでから村が終焉を決定づけるまでの四半世紀、「国策」に翻弄されたムラの悲喜劇だ。故郷を失った悲しみだけでなく、自身の悔恨の念も込めた。

旧満州(中国東北部)生まれの平方さんは生後すぐに母を亡くし、徳山村の父の実家で育った。高校から大学、教員になるまでは村を離れたものの、徳山小学校戸入(とにゅう)分校の教員として村に戻り16年間勤めた。早朝4時には起きて、勤務前に狙った谷にアマゴ釣りに出かけ、村民から「月給泥棒」呼ばわりされたという逸話も持つ。

分校時代の1979(昭和54)年には、児童文学作品「じいと山のコボたち」(童心社)を著した。痴呆が進む老人と少年少女の生き生きとした交流を描いたこの作品を原作に、岐阜市出身の神山征二郎監督が映画「ふるさと」(83年公開)を撮影。消えゆく徳山村でオールロケを行ったこの映画は国内外で広く共感を呼び、「じい」役の加藤嘉さんはモスクワ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞した。

今回の本は、ダム騒動に巻き込まれた当初から「何とか1冊にしてやろう」と思い描いていたもの。建設に反発しながらも「せいぜい5、6年でダムはできてしまう」と踏んでいたが、あにはからんや、1957(昭和32)年に電源開発促進法に基づく調査区域に指定されてから87(昭和62)年の廃村まで30年、2008年のダム完成までさらに20年、合わせて半世紀もの時を費やした。

集めていた書類や新聞の切り抜きなどの資料は段ボール5箱ほどにもなり途方に暮れたという。それらを基に「暇に任せて書き溜めた」(平方さん)文章は400字詰め原稿用紙400~500枚に。パソコンで打ち直してもらいまとめたのが239ページの本書だ。

福井県境に位置し「陸の孤島」と呼ばれた徳山村は険しい山や谷に遮られ、言葉のイントネーションや気性も異なる8つの「ムラ」から成っていた。それぞれの特徴を記す平方さんの筆は滑らかだ。

■最初で最後の「反対」

はなしは57年、村議会が「ダム建設反対決議」を行ったところから始まる。「この決議文は、村がこのダム建設に正面から反意を示した最初にして最後のものになった」と平方さんは村の行方を暗示してみせる。当時の村の雰囲気を伝えるのは次のような一節だ。

「そうか!ダムにして呉れるって言うか、そりゃうれしやなあ…よそではただでさえ出ていかんならんっていうに、支度金まで呉れるか!さすがトクのヤマじゃ」

山村の過疎は始まっていた。中学校を卒業した子どもは街へ出て就職するか進学するか。村役場で成人式を祝うことも久しくなくなっていた。

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