ちづかやの看板(濱口桂一郎)

59

■連載:人事担当者がわかる最近の労働行政(著者:濱口桂一郎)

労働政策研究・研修機構の一階には労働図書館があり、労働に関する膨大な図書文書資料を集めています。いつも何人かの労働研究者や労働関係ライターの方が資料を探しに来ています。しかしその一角に、図書でも文書でもないある歴史的物件が展示されていることをご存じでしょうか。雑誌を展示してある閲覧室の片隅に、奇妙な木製の看板が無造作に立てかけてあります。「千束屋」と書かれたその看板に関心を向ける人は殆どありませんが、これは実は江戸時代から大正時代まで200年にわたって民営職業紹介事業を営んでいた千束屋(ちづかや)の看板なのです。この看板の裏側には、ひらがなで「ちづかや」という字も書かれています。

この看板の横には、小さな字の説明紙が貼ってあります。曰く

この看板は、日本における職業紹介事業の父とも呼ぶべき故豊原又男翁が収集・所蔵されていたものであり、職業研究所創立10周年を祝って、子息豊原恒男氏(立教大学名誉教授、元職業研究所顧問)より寄贈された。

千束屋(ちづかや)は享保5(1720)年に創業した「日本最古の口入屋・慶庵の元祖」ともいわれる営利職業紹介業者で、大正10(1921)年に廃業するまで9代200年間、日本橋・芳町で営業していた。…

尚、この看板は大正14年4月20日、東京府職業紹介所が飯田橋に新築・移転したのを記念して職業紹介事業参考資料展覧会が開催された際陳列されたことがある。

これで大体のことは分かりますが、もう少し詳しい説明も欲しいところです。そもそもこの看板を所有していた豊原又男氏は、職業紹介関係の著書をいくつも書いていて、その中にはこの「ちづかや」についてのやや詳しい記述もあります。彼の著書『職業紹介事業の変遷』(財団法人職業協会、1943年)から、関係部分を引用しておきましょう。江戸のニュービジネスが勃興していくさまがビビッドに描かれています。

本邦の奉公人制度は相当古くから行はれてゐたもので、上代の奴婢制度とも相通ずるものと称せられ、奉公なる事実の発生は王朝末期封建制度の萌芽期である庄園制度の発達せる時代に迄及ぶものと言はれているのであるが、其奉公人の媒介周旋を業とするものゝ起原に至つては、之を知るを得ないのである。然るに徳川時代から九代二百余年間之を継続経営してゐたと言はるゝ、我邦最古の口入所とも言はれ慶庵の元祖とまで伝へられた、日本橋芳町(よしちよう)の名物であり旧家である「ちづかや」の由来をお話しして見ようと思ふ。

この情報へのアクセスはメンバーに限定されています。ログインしてください。メンバー登録は下記リンクをクリックしてください。

既存ユーザのログイン

three × three =