賃金と賃銀

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■連載:人事担当者がわかる最近の労働行政(著者:濱口桂一郎)

今日、雇用契約に基づき労働者が労働の対価として受領する金銭のことは「賃金」と書き、「ちんぎん」と読みます。今ではほぼ誰も疑わないこの余りにもごく普通の用語について、いささかトリビアルにも見える突っ込みを入れてみたいと思います。

まず、「賃金」を「ちんぎん」と読むことについてです。実は、漢字熟語で「○金」という形のものはほとんど全て「○きん」と読みます。「○ぎん」と読むのは連濁ではないかとお考えの方もいるかも知れませんが、その例はありません。訓読みなら「○金」を「○がね」と読んでも、音読みでは「○きん」となります。例えば、「掛金」は「かけがね」ないし「かけきん」であって「かけぎん」にはなりません。

一方、ciniiで学術論文をサーチすると、過去に遡るにつれて「賃金」ではなく「賃銀」と表記したものが多くなっていきます。どうも昔は「ちんぎん」を「賃銀」と書くのが普通だったようです。書籍名で検索すると、戦後の本で珍しく『賃銀』と題するものが見つかります。1970年に刊行された大河内一男『賃銀』(有斐閣)です。そのまえがきに、「ちんぎん」の表記法についてかなり長く論じているところがあります。

…最後に本書の表題について一言しておかなければなるまい。本書は『賃金』とせず『賃銀』とした。私は昔から「賃金」と書かずに「賃銀」と書いてきたから、いまでもそれを「賃金」に改める必要はないと思っているだけのことである。近頃は法律その他の公式文書、教科書、新聞、雑誌など、いずれも「賃金」としているので、私が原稿に「賃銀」と書いても、編集者か校正係か、ないし印刷所あたりで「賃金」に訂正して、ゲラが私のところへ廻ってくる。私はそれを「賃銀」に直してもう一度差し戻しても結果は同じで、何度でも「金」と「銀」とのやりとりが繰り返されるだけで、新しい用字法の暴力には到底かなわないので、仕舞いには私の方が根負けしてどっちでもいい、という気になってしまう。明治時代には、政府などの調査書や報告書にはよく「賃金」と書かれているものがあるが、これはおそらく「ちんキン」と読ませたのではないか。役人言葉としては考えられることである。ただ日常用語としては「ちんぎん」で、それを文字に移せば「賃銀」であった。こうした穿鑿はどうでもいいことであるが、昨今、「賃金」と書いて「ちんぎん」と読ませているのは納得いかない。昔のようにあえて日常語から離れて「ちんキン」と読むなら「賃金」でもいいが、これを「ちんぎん」と読ませるのは無理であり不自然である。…

もう一つ、1960年に出た山本二三丸『労働賃銀』(青木書店)のまえがきはもっと激烈です。

…われわれは、賃銀のことを「チンギン」と発音して、「チンキン」とは発音しない。賃銀という言葉は、ずっと古くからあって、終戦後も賃銀と書かれていた。ところが、今から約十年ほど前に、さる著名な学者が、いつもの素人を感心させる手で、にわかに賃銀を『賃金』と書き改めることを提唱したが、その理由は「賃銀は貨幣である。貨幣は金であって銀ではない。だから賃銀では間違いであって、賃金でなければならぬ」という、全くの屁理屈であった。ところが、この屁理屈が、当時教条主義のはびこっていた左翼陣営においてたちまち受け入れられ、賃銀闘争は『賃金闘争』に切り替えられ、これよりして、賃銀に代わって『賃金』がとうとうとして世を風靡し、ごく少数の心ある学者を除いては、賃銀論の「専門家」まで、無意識にこの字を採用することになり、しかも滑稽なことに、その保守性をもって鳴る自民党政府までが、この左翼的屁理屈に感化されてしまったのである。…

この「著名な学者」氏の言い分が屁理屈であることには全く賛成ですが、自民党政府は別段その左翼的屁理屈に感化されたわけではないと思われます。というのは、読者がみんな知っているように、終戦直後に制定された労働基準法が「賃金」と表記しているから、政府はそれに従っているだけだからです。そして、これは日本の労働法制史に詳しい人であれば知っているように、この「賃金」という表記法は戦時中、さらには戦前に遡ります。大河内は「調査書や報告書」と言いますが、そもそも法令上はずっと「賃金」と書かれていたのです。たとえば、初めての包括的賃金法制である賃金統制令(1939年、1940年)や賃金臨時措置令(1939年)がそうですし、これらの根拠法である国家総動員法(1938年)も「賃金其ノ他ノ従業条件」(第6条)と表記していました。これらは戦時体制下の法令名であって、左翼的屁理屈どころの騒ぎではありません。

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